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【2月度月例会レポート】

EO大阪の2月度の月例会の講師は、オリンピック3大会連続金メダルを達成された柔道の野村忠宏氏をお招きして開催されました。

「個人目標をどうやって達成するのか」という内容を中心に講演していただきました。

以下、講演内容です。

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自分自身の性格は優柔不断で神経質。アスリートに向いていない性格です。その自分がなぜオリンピックで3大会連続で金メダルをとれたのか?振り返ってみたいと思います。

柔道を始めたきっかけは、おじいちゃんが柔道場を開いたことがきっかけで、柔道一家の中で育ちました。小学生の頃は厳しい指導もなく、のびのびと教えてもらっていました。柔道以外にもサッカー、野球、水泳、書道、学習塾と色々な経験をさせてもらいました。

その中で、中学校に入る時に、自らの意志で柔道をやると決めました。中学校の初めての大会では、1回戦で女の子に負けました。柔道は好きだったけど、体も小さいし、弱かった。まさにマイナスからのスタートでした。けれど、毎日毎日、練習して努力して、背負い投げを練習しつづけました。その時は、未来の自分に期待をして、あきらめない気持ちがありました。それでも、中学校の時は、奈良県でベスト16がやっとぐらいの成績しかあげれませんでした。

高校入学にあたり、天理高校の柔道部を希望したが、父親からは辞めてもいいぞと全く期待をかけられていなかった。期待してもらえないことが情けなかったし、悔しかった。

そこで、反骨心に火がつきました。柔道部の練習は本当に厳しかったです。また寮生活も厳しく、12人中9人が逃げ出しました。自分は、父親が監督ということもあり、逃げ出すことはできませんでした。

高校3年生の時に、はじめて奈良県で優勝はしたものの全国大会では初戦敗退。まだまだ全国で通用するレベルではありませんでした。

その後、天理大学に進学したものの1年生ではレギュラーにもなれませんでした。しかし、4年生の時からは、オリンピックで金メダルという飛躍の3年を過ごすこととなります。

恩師である細川先生との出会いが自分を変えました。今までは自分の限界を勝手に決めて、どこかに甘え、ゆるさ、慣れがあった。それが先生にばれていたんです。

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そこから、自分の意識と取り組みを根本的に変えました。

自分の限界を超えて力を出し切る練習。集中力、執念を作り出す練習。

すると、半年後には、全日本学生チャンピオンになれました。

意識と取り組みを変えると結果が変わるということを肌で感じた瞬間でした。

 

そして、大学4年生の時に日本代表に選ばれました。自分より上位の人達が次々と調子を崩していき、たまたま掴んだ日本代表でしたがアジア大会にすら出たことがない自分は不安だらけでした。

そこで、自分に約束事を決めました。

・常に前に出つづける。攻撃しつづける。

・感情を顔に出さない。

・あきらめない。

そして、金メダル。

すごく充実した瞬間でした。

 

2連覇に向けては、自分の柔道は研究されているだろうと予測し、技のレパートリーを増やして臨みました。

自信もあり、一番強かったと思う。25歳で2連覇をして、やめようと思っていた。

引退するか現役続行か結論を出さないまま一年が過ぎました。どうするか決まらないまま、のんびりと過ごすためにアメリカに渡り、そこで自分にしかできないチャレンジ「オリンピック3連覇」への挑戦を決めました。

なんとかなるだろうと思っていたが、ブランクがひびき、全く勝てなかった。しかしここで、あきらめなかった。自分を信じてやりつづけました。心技体という言葉があるが、この時期は心が充実していた。相手と組み合ったときに、相手が小さく見え、自分の気持ちが非常に落ち着いていた。そして、3連覇達成!!

周りはもういいだろうと言っていたが、アテネへのチャレンジで、自分の心がまた変わった。40歳まで現役を続けたが、心が折れたのではなく、身体の限界がきたのです。

 

 

 

あきらめないで、地道な努力を続けていけば、必ず報われるということを人生を通じて実践してこられた野村氏の講演は非常に胸が熱くなった。

 

株式会社創都設計
代表取締役 大東 俊也